地域の歴史勉強 ボランティア おっぱまはっけん倶楽部
お隣の逗子に古墳が近年(1999年)発見されその後整備されたとのことで、近くの観光スポットとともに巡ることとした。この古墳は長柄桜山古墳群と命名され2基からなる。双方とも県内では最大規模の希少な前方後円墳で互いに約500m隔てて東西方向に立地している。更に眺望が抜群と聞いたので折角行くなら見晴らし絶好の季節を選び決行日を2025年12月10日とした。
当日9:20追浜駅に7人が集合して電車に乗っていざ出発、逗子葉山駅でバスに乗り換えこの古墳最寄りの葉桜に10:15に着いてから歩き始めた。住宅地を抜けると古墳への登山口に到着、登り始めるとやがてブランコ、腰掛けとテーブルのある展望スポットがあった。前方には雪の帽子をかぶった富士山が、手前に江の島も眼下の逗子市街とともにくっきり見通せる、素晴らしい眺望だ。
しばらく見とれてからいよいよ階段もある急坂に挑む。木々の張った枝をまたぎ々数分登ったら丸餅状の整備された小山に出くわした。掲示板があり長柄桜山第1号墳とわかった。すぐ階段があり上がるとそこは後円部、円筒埴輪のレプリカが置かれそれらしい雰囲気が出ている。何でも墳墓の周囲を円筒埴輪で包囲していたと言うから壮観だったに違いない。ここからの富士山も絶対見逃せない、正に絶景だ。
ふり向くとやや下って前方部へと繋がっている、その先端まで50mはないかでもかなり長い参道だったと想像できる。そこを後にして杉の森林道を木漏れ日が射す中10分位進むと第2号墳への上り口、やがてその後円部、更に前方部へと続く。ここは全く未整備のままで古墳には見えないが、自然なのも悪くない。ここからの眺望もご馳走、鎌倉の七里ガ浜辺りもつぶさにわかる。この季節に来て正解だった。
その後旧逗子市郷土資料館を経て公園広場までひたすら下山、その道すがら随所に徳富蘆花がご当所の四季を愛でた詞が掲示されていてその表現力の豊かさについぞ魅入ってしまった。
午後は逗子市街を、先ず昭和9年築の旧脇村家住宅主屋は和洋折衷の贅沢な造りで見事、次いで蘆花や国木田独歩ゆかりの柳屋跡、六代御前の墓、旧魚荷揚場跡、徳富蘇峰顕彰碑、三浦胤義(たねよし)遺孤碑へと回った。
旧脇村家住宅
そして帰路に着いたが、ここは明治以降は文芸の花開いた街、それより遠い昔は敗者が散った悲劇の街、もっと昔は大和朝廷と関わった?有力豪族の支配地との想いを新たにした。大体1万歩余り歩いたが、誠に充実した楽しい一日だった。